グローバル時代の日本 〜日本文化論

<目次>

第一回  日本と米国の会社役員の違い

第二回  公正原理と平等原理

第三回  引く社会と押す社会

第四回  東芝の事例 米国式経営手法は不祥事を防げるか

 補足 カルロス・ゴーン


1. 日本と米国の会社役員の違い
 表1をみて頂きたい。日本と米国の売り上げ1兆円以上の会社の平均役員報酬額である。米国の役員は、日本の役員の約10倍の収入を得ている。日米の役員の働きは、10倍も違うのだろうか。そうだとは、一寸考えにくい。働きが違うのではなく他に訳があるのではなかうか。これから、解きあかそうと思う。
 もう一つ表1から分かることは、日本の報酬額が拡大中で、米国はそうでもなさそうだという事である。米国の報酬額は、2015年に対し2016年は減っているのに対し、日本は増えている。
 正確な時期、出典共に忘れてしまったが、2004年ころ、GMの役員報酬が15億、ホンダの役員が2450万円と記憶している。この数字だと61倍。

表1でも、米国の報酬は頭打ち傾向なのに対し日本は上昇中であり、日本は米国に近づきつつある様に見える。この動きにも理由があるはずだ。

 これも、明らかにしていきたい。


  表1   売り上げ1兆円以上の企業の役員報酬の日米比較

                2015  2016  伸び率
     日本  (億円)    1.27   1.4    1.10 
     米国  (億円)   14.3   13.1   0.92 
      比       11.3倍    9.4倍   0.8倍 

 

   出典:ウイリス・タワーズワトソンのホームページを集計した


2. 公正原理と平等原理

 自社の業績が良かったとき、多くの日本の役員は「社員が良く働いてくれたから・・・」と言う。一方、米国では、「私がこうしたから・・・」と言う。

 皆で達成した業績であれば、役員が多くの報酬をとることはできない。役員のおかげももちろんあるが、従業員のおかげも、お客様のおかげも様々な関係者のおかげがある。

  この関係の中で妥当そうな金額と考えれば、自然に自己抑制が効く。日本は、そういう社会の仕組みになっている。つまり、自己抑制の社会である。

 一方、米国式に「業績が良かったのは、俺のおかげだ」と考えると、当然、俺、つまり役員の報酬は高くて当たり前だと考えるはずだ。しかも、社員は文句があっても言いにくい。米国での雇用関係は、上司との契約で社員になっている場合が多いので益々言いにくい。いわば規制の効かない社会なのだ。

  米国では、権力を持つものが金をとり抑制が効かないいので、権力を持つものは益々富み、無いものは困窮していくことになりかねない。結果、社会が不安定になりかねない。そこで、米国では、当事者以外に権力を与えて役員の対抗勢力を作り、闘わせてバランスをとろうとする。

 例えば、株主代表訴訟制度を考えて見よう。株主代表訴訟は、会社役員の暴走を防ぐ為に、株主に権力を与えて、経営者と対抗させようとする制度である。

  株主が、役員の不当に高い報酬や不正を見つけたとき、監査役に調査を依頼できる。そのとき、監査役が何もしなかったら、監査役の代りに株主を代表して役員を相手取って訴訟ができると言う制度である。株主に権力を与えて役員と対抗させようとしている。米国では、この様に、権力者の暴走に歯止めをかける為に第三者に権力を与えてバランスをとろうとする。

  一方、日本では、自然に自己抑制が効く社会なので、本質的に対抗勢力を作って闘わせる必要がない。代りに、日本では、『お上』が鍵を握っている。上司が誰か、どういう人かが、組織を正しい方向に導く。

 この様に、日米は、社会の動き方が違う。従って、単に、法律や制度、あるいは概念を導入しても根付かない。


3. 引く社会と押す社会

  米国では、主張がぶつかり合う。相撲と同じだ。どこかで均衡して長い相撲になるか、何方かが押し勝って勝負が決まる。押し合う事で均衡点が見えるか、勝負が決まる。この様に、ぶつかり合う事で解が決まる。米国は、基本的にこの原理で動いている。

  一方、日本では、両方共に引いてしまう。相撲なら、両方負けになる。しかし、両方負けても問題が解決すれば、問題は解決した訳である。実世界で起きる問題は、ぶつかり合う程重要でない問題の方が多い。従って、多くの問題がぶつからずに解が決まり、ぶつかり合いが少なくて済む。

  この関係を法曹関係者の人数で見てみよう。2011年の統計で、アメリカは日本の15倍近い弁護士がいる。フランスでは、日本の3.3倍の人数がいる。

 

     表2   法曹関係者数の比較

      弁護士数(人口十万人当り)   比(日本を1)

日本              25                 1.00 

フランス             83                3.30

アメリカ             368                     14.64 

                          出典法務省法曹人口に関する基礎的資料(2011)            

 

 時期はおぼえていないが、米国で「I'm sorry運動」と言うのを始めたと新聞で見たことがある。訴訟が多いので減らしたいと考えたどこかの市が、I'm sorryと言えば、訴訟がへらせるのではないかと考えた。いわば日本の文化を移入しようとしたわけだが、その後、何も聞こえてこなかったので、上手くいかなかったのだろう。

 逆に、日本では、司法試験の合格者数を増やそうとした。このため、法科大学院大学を沢山作って、司法試験合格者を増やしてきたが、2018年現在必要十分な法曹関係の仕事がなさそうである。()

 

 ()「政府は、20023月に閣議決定した「司法制度改革推進計画」において、新司法試験の合格者数を、2010年頃に3,000人程度とすることを目指す、とした」とある(ja.wikipediaから)

 

  この様に、形だけ違いを変えようとしても、中々上手くいかない。米国のI'm sorry運動は、恐らく、人々の行動様式、さらには、地形や気候も輸入しないと上手くいかなかった。また、日本の弁護士増強は、本来必要なかったのではなかろうか。

 日本では、「米国でI'm sorryと言ってはいけないらしい」と良く言わる。これは、押してくる米国に、引くことから始める日本が対峙すると、当然押されっぱなしになって負けっぱなしになってしまうからである。でも、日本でいつも押していたら、疲れ果ててしまうし、世の中から弾き飛ばされてしまいそうだ。そうなると、二つを意図的に使い分けるしかなさそうだ。ダブルスタンダード。和魂洋才の現代版を作り上げる必要がある。この辺りは、後で述べることにする。

 表2には、日米の他に、フランスが入っている。フランスを入れのは、E.H.ホールが著書の(参考文献2)の中で次のことを述べているからである。上で述べたことを、もう少し突っ込んで解析しているので紹介しておく。

 E.H.ホールは著書の中で、日本はコンテクストを多く持っているのに対して、米国はコンテクスト()が殆ど無い。その両極端の間にフランスがいると言っている。これが、フランスを表に入れた根拠である。

  ()コンテクストとは、共通的納得ごと、理解を助ける語の集まり。

 

(1)ロー・コンテクスト文化の代表はアメリカ。共通的納得事項が少ないので、

    すべからく説明が必要

  自己主張が必要

  他人に深く関わる機会を一生持たない場合もある。

(2)ハイ・コンテクスト文化の代表は日本。多くの納得事項があるので

  自分の悩みを具体的に話す必要がないと思っている。

  悩みの核心を隠す。この核心を補うのは聞き手の役割。聞き手の人格を尊重している。

(3)中ぐらいのコンテクストの国。フランス


4. 東芝の事例   米国式経営手法は不祥事を防げるか

   2015年、東芝の2000億円近い粉飾が発覚した。5月に決算発表ができず9月に延期。更にもう一度延期と言う事態が起き、社長以下役員が辞任した。

 この事件のマスコミ報道は、「東芝は委員会等設置会社に早くから取り組むなど、先進的な経営手法を用いていたのに残念」と言う論調である。私は、この報道を読んだとき、上手くいかないのが当たり前なのに、なぜ、「やはり上手くいかなかった」と書かないのか不思議だった。

 米国流をそのまま入れても上手くいかないのは当たり前だ。にもかかわらず、世の中の多くの人々は、米国式を導入すれば上手くいくと考えているとすると、次々と問題が起きる可能性がある。この問題を考えてみよう。

 委員会等設置会社は、第三者を中心とする以下の3つの委員会を設置する。

  (1)報酬

  (2)倫理

  (3)人事

 この3項目を見ると、まさに上で述べた『公正原理』の不効果を是正しようとするものだ。公正原理によって運営されると、役員報酬は無限に上がり続け、倫理は無視され、人事は役員の好みだけになる可能性が高い。この弊害を消す為に、対抗勢力を作ってバランスをとろうとした。それが委員会等設置会社だ。

  1項で述べた如く日本の役員報酬は、米国の1/10であり、もともと報酬委員会はいらないはず。日本の役員は、平等原理で動いているので自己抑制が効く。従って、報酬委員会自体が無用の長物である。そこに、委員会を導入したら、委員会は、一体何をするのだろうか。

  倫理委員会は、無用とまではいえないが、なくても良さそうだ。法曹人口は米国の1/14だと言うことは、それだけ、自己抑制によって倫理が守られていると考えるべきである。ところが、倫理を守るのは、中々難しい。そういう意味で、全く無意味では無いが、米国ほど重要な役割ははたせない。人事委員会も同様だ。

 大して役に立たない組織を日本に導入されるとどうなるだろう。一つの仮説は、組織は仕事を作り出す。何とか、自分の組織,委員会が意味ある様にしたいと考えるはずだ。しかし、どうして良いか分からないから、関連組織(この場合は、経営陣)を巻き込む。会社と一体化していく。この様に、第三者委員会は、対抗勢力ではなく、経営と一体化していく。

 更に、日本では、米国のように、ぶつかり合う習慣がないので、お互いに傷をなめ合う形になりがちだ。これは、普通の組織でも、このような力が働く。

 例えば、いじめがあったときに、教育委員会と学校が、いじめはなかったと言い張るのと同じだ。この二者は、上下関係の組織である。横に居てお互いがぶつかり合う組織構造ではない。日本では、横(ぶつかり合う)組織は、中々できない。それは、自己抑制を期待しているからであり、縦社会だからである。

 この様に、もともといらないものを作ったのに加えて、日本の文化が、米国での組織の意味を消していくことになる。結果、第三者委員会は、会社に同化する。あえて闘うのではなく、上手くやるのである。

  第三者委員会は形骸化し意味がなくなったが、経営陣も株主もマスコミも、委員会等設置会社構造にしたことで安心する。その結果、益々本当の問題は軽視されることになる。

 この様に、米国の組織を真似して入れるだけでは、不効果の方が大きい時代になった。だから、上の記事を読んだとき、上手くいかないのは、当たり前と思ったのである。

 日本は欧米特に米国流が好きだ。今まで、研究開発、企業経営などで様々な示唆や恩恵を受けてきたから当然である。しかし、世の中の関係が変わってきた。日本は、当時より成熟してきている。考え方を変える必要がある。


(補足日欧米の違いを書いていたら日産のゴーン会長逮捕事件が起きた(20181205)  

 20181119日産自動車のカルロス・ゴーン会長が逮捕された。会計報告書に嘘の記述をしたと言うのが逮捕の理由。何でも、50億円くらい少ない金額を書いたとのことだ。年収が10億円程度だから、5年で50億、それに隠し分50億がのると、5年で100億ぐらいの収入になった勘定である。

 ずいぶん多いなと思う人がいると思うが、実は、欧米ではこれが当たり前であることは、1章で述べた通り。公正が基本の欧米企業では、この金額は当たり前かやや多い程度である。日本の平等原理だと、高すぎることになる。

  ゴーン会長自身、「私がなし遂げたことは、もっと大きい。もっと多く取っても良いはずだ。日本もグローバルなレベルに追いついてほしい」と言う趣旨の話をしている。まさに公正と平等そのものだ。

  今回の逮捕は、ゴーン会長が日本での収入を目立たなくするために、発表額を押さえた可能性もある。そうだとすると、情状酌量の余地がある。しかし、日産は、私的費用代わりもさせられていた様で、こちらは情状酌量の余地はない。

  ここまで進ませてしまったことに対して、会社や役員の責任を問う声もあるが、私は、これは筋違いだと思う。

  欧米は、このような事態にずっとさらされてきている。法律や社会システム、組織構成など様々な手段でそうさせないようにしてきた。でも、起きている。

  一方、日本では海外の役員をトップに据えること自体あまり経験がない。社会システムも法律、常識も全く違う。従って、これから色々な経験をして整備していく必要があるのであって、今までは何もないのは当然だ。日産一社の問題ではなく、日本が世界とどうやっていくかと言う段階である。

  前に述べた通り、欧米流の概念や方法論、法律などを単に輸入しても駄目だ。一部は既に述べたが、おいおい広く深く述べていくことにする。

 

 今回のゴーン氏の容疑は金額の多寡ではなく、有価証券報告書への嘘の記載である。金額の多寡は問題にはなっていないので、有罪は間違えないだろう。恐らく、結論が出るまでに、日本と欧米の違いが浮き彫りになると思うが、マスコミが理解できるかどうか、あるいは大衆に迎合して本質を隠してしまう可能性もある。いずれにしろ、今後の動きを文化論を踏まえて解釈していきたい。

 もう本件に関して、興味深々なことがある。日産が委員会等設置会社になりそうなことである。

  元々、海外からトップをつれてきたとき、組織もつれてこなければならなかった。ところが、今後、日産を委員会等設置会社にして、一方で、トップが日本人になると、日本人トップには不必要な委員会等設置会社になる。このちぐはぐが起きたら、どうなるか結論が出るまで時間がかかると思われるが、興味深々である。