イタクラっている英語術1

<目次>

1.        ロブスターとエアロビクス(RL) (2001.1.8)

2.        Thの発音は、タチツテト(2001.1.8)

3.        I think so 思わない」と「This is what?」。2002.02.03

4.        国際学会の目的はロビー  (2002.03.23)

5.        時制の一致なんて気にしない(2002.04.13)

6.        目的語が先に出る   (2002.05.05)

7.        閑話休題(日本語における省略)  (2002.05.05)

8.        閑話休題(悪いのは日本語か、日本語の使い方か)  (2002.05.19)  

9.        三単現も気にしない  2002.06.06

10.    閑話休題(フィンランドでイタクラッている英語が、芽を出しました) 2002.06.23


1.        ロブスターとエアロビクス(RL) (2001.1.8) 
その代わり1.3項の様な手を使う。

1.1  出来事
  
米国ニュージャージ州のレッドバンク。ATTの城下町と言われる田舎町。ホテルのレストランがパーティーで貸切りだった。そこで、ホテルのフロントに「ロブスターを食べたいので、レストランを推薦してくれ」と言ったが通じない。はさみのまね、ロブスターウロブスター等々イントネーションを変えて言ってみたが、まるで駄目。最後に、「R or L」と言ったら「Oh! Lobster」ときた。自分の発音と全く同じだ、けしからんと思う。
ロサンゼルスで、エアロビクスをやろうと思って「I would like to do aerobics. Do you have any information about this?」と聞いた時も相手は首を傾げている。どうも、aerobicsが通じないらしい。仕方がないので、ロビーでやるかなと思った瞬間「なんだ、書けば良い」と気がついて、書いたら問題なし。

 

1.2  どうするか
  この出来事を、普通の人は「おれの英語は通じなかった」と思う。逆に、「通じたではないか」と考えよう。RLを聞き分たり、発音する神経回路は、幼児のころに出来るらしい。だから普通の日本人には、発音できないし聞けない。 Road(は、 Load(負荷)と区別がつかない。そんなことに苦労するのは、もうやめよう。その代わり、こうすれば通じると言う手を状況に応じて使えば良い。 どれかで、通じる。

 

1.3  イタクラっている対策
  とにかく、色々な手を使ってみる。

(1)    巷では、Rは、「う」をつけて、「ウロード」と言うと通じるという。多少効果あるが、万全ではない。真ん中に入ったRLは、扱えない。例えば、AIROBICSは、難しい。

(2)    書くと通じる。しかし、とっさの時、どちらか分からないときがある。そのときは、It is very difficult for Japanese to distinguish R or L.とでも言う。問題の所在は、絞られる。理解に向かって一歩進む。

(3)    ジェスチャも有効だが、ジェスチャ自体が違っているので通じないことがある。
Lobster
と言って、はさみのまねをしたが通ぜず。R or Lと言ったら通じた。

(4)    関係ありそうな言葉を並べる。
lobster
であれば、Lobster, sea food, sea fish, bigger than shrimpなど、この場合、文章である必要はない。ただ、並べて首を傾げる。しかし、余計、混乱してしまうこともある。

(5)    前後に、具体的な言葉をつける。たいてい私は他こうしている。
Aerobics
であれば、aerobics school, aerobic exercise, aerobic dance, aerobics for shapeとか
ちなみに、ロサンゼルスではすべて言ったが通じなかった。書いたら通じた。

 

2.        Thの発音は、タチツテト(2001.1.8)

2.1 出来事

インドである国際会議に出た時のことである。酒を飲もうと思って、ホテルのフロントでバーの場所を聞いたら、「フォルルルルトフロアー」と言う答えが返ってきた。Rを巻くから、「フォルルルト」と聞こえる。さて、「失敗フロアー」ってなんだろうと考えた。そうか、分かった、4階であった。日本人風に言うと「フォースフロアー」であるが、どうも、「フォルルルト」の方が通じるようだ。

他にも、「アイ ティンク」などというのが聞こえてくる。

 

2.2 いたくらってる対策

彼らは、「THをタチツテト」で発音するらしい。これが分かってから、THは舌を歯の間に挟んで、アイ スィンクなどと言うのはやめた。「アイ ティンク ソー」と発音する。これが、実に通じる。Thousand は、タウザンドtheater は、ティアター、thank youはタンキューである。ただ、there is は、舌をかんで言うことにしている。

辞書を調べてみると、Thai Landは、タイランドで、thをタチツテトで発音している。

本当は、タチツテトなのかもしれないと思っている。

 

3.        I think so 思わない」と「This is what?」。2002.02.03

3.1  イタクラっている英語を世界標準にしよう

英語は、通じる程度のプロークンで話せば良い。問題は中身だ。つまり、「イタクラッている英語」を日本的英語の典型として、中身を持っている人がみんなで使い、世界が我々の英語を国際語として学ぶ様な世の中をつくろう。

 

3.2I think そう思わない」のすすめ

  実際に、この2つとも会議で実際に言ってしまった。「I think そう思わない」とは、言わずもがな「I think so」と「そう思わない」がくっついている。「I think そう思わない」と言ったら、会議にいた日本人も外人も、一瞬、何を言ったのか分からない様子、一瞬おいて日本人が笑いだした。

このようなことは、良くある。英語が出来ても、英語が自分自身になるまでには至っていない。これを、恥じてはいけない。第二外国語の人々にとっては、この程度の誤りは、当たり前なのである。自信を持ってプロークンを話そう。

日本人にとって、I dont think soと考えるのは苦痛である。日本語で考えると、否定は、最後にくる。従って、「I think not」が自然である。

日本人が、普通に英語で考えると、日本語順で英語に置き換わった文章が出てくる。これは、悪いことではない。大抵すぐに気がつくから、言いなおせば良いだけの話だ。大抵の日本人は、このような間違えをするとしばしば照れる。本当は、堂々としていなければならない。

同様に、「This is what?」とやったことがある。なんのことはない、これも、日本語の順である。「これは何ですか」を直訳すると「This is what?」になる。夢中で話している時に、えてしてこの種の英語もどきが出てくる。ただ、これは、相手が普通に答えてくれた。完全に通じたのである。

大体において、文法を気にしていたら話のスピードに乗れない。どんどん言ってしまうにしかずである。そうすると、間違えも出てしまう。それで良いのだ、我々、第二外国語として英語を使う人々は、言葉のニュアンス、慣用句等に弱い。従って、ネイティブよりも、多くの言葉を使わないと伝わらない。日本順英語で、感情(イントネーションと表情)を伝え、英語で言いなおして、意味をもう一度伝えるのも手段である。これは、恥ではない。英語など、伝える為の記号にすぎないと思えば良い。

考え方が英語的になると言うことは、ひょっとすると魂を売ってしまうことかもしれない。日本人が、日本語的に考え話すのは、日本人の日本人であるゆえんである。日本語で考えた物事の本質を、手段である英語で表現することが必要なのだ。日本語で考えると、英語で考えたのと違う経過をたどりそうだ。多様性が人類反映の基礎であるから、決して考え方まで、英語化してはならない。日本の存在自体が無くなってしまう。

学校では、文法を間違えると直された。文法通り話なさなければいけないのではなく、通じる様に話すことだ。一方で、書く時は文法もしっかり守りたい。書いた文章は、話す言葉と比べて、情報を伝える手段が少ない。話し言葉では、イントネーション、音調、顔の表情、ジェスチャーなどあらゆるものを動員して、会話の流れに乗ることができる。しかし、書く時は、これらが、動員できないので、日本語でも同じだが、推敲を重ねるしかない。本件は、別の項で書くことにする。

 

.  国際学会の目的はロビー  (2002.03.23)  

4.1欧米の発表は、間口が広い、日本の発表は奥が深い

  私は、米国の発表を聞いて、「何であんなにアバウトな話をするのか」と思うことがよくある。  一方、米国人は、しばしば、「日本の発表は何であんなにチマチマしたことを話すのか」と思うのだそうだ。米国人特有ではなく、多分、英語圏の人の特徴なのだろう。

  これは、多分、根本的なものの考え方が違うのであろう。それは、

(1)   欧米は、間口を横に考える。

(2) 日本人は、奥に深く考える。

    かららしい。

  四角形を想定してみよう。上が入り口とすると、英語圏の人は、幅広に、水平に考えていく。日本人は、縦に、深く考えていく。四角形全部を、考えきってしまえば、両方ともに全部考え尽くすのだから全部埋まってしまう。しかし、考えている途中や、短い時間で発表することになると、途中までしか話せないでことが起きうる。そうすると、間口と平行な途中の部分しか話せない事になる。その結果、「分かりきったことじゃないか。つまらない話だ」と言う印象を持ってしまう。

  日本人は、小さく小さくしていくのが得意だ。有名な短歌、「東海の小島の磯の白砂に、・・・」は、どんどん小さくなっているでしょう。住所の表示は、日本では、「東京都新宿区・・・・」と小さくなっていく。英語だと、最後が「・・・,USA」になる。名前と姓も同じ関係にある。つまり、英語では、段々大きくなって行くのに対し、日本語では段々小さくなっていく。このことは、李御寧先生の著書「縮み志向の日本人」で詳説されているので、一読を勧めたい。

  つまり、日本人のものの考え方は、錐のように、鋭く深く考え、その順に話すのである。双方、お互いに、その考え方になれていないと相手の言う事が理解できないのである。

 単に英語が出来ても、通じないことがよくある。過日、世界中のプロークンを聞いているL氏と、ずっとネーティブの世界で育ったS氏と3人で話した時、私の話は、L氏がS氏が分かる英語に翻訳しないとつうじない。S氏の話は、L氏が私向きのブロークン英語にしてもらう。これで、初めて会話が成立した。この翻訳のなかには、考え方の違いも修正されさている可能性が高い。その点、未だ確認していないが、そのうちに確認してみたい。

 

4.2発表はインデックス

 学会などの発表では、時間が限られているので、日本式にしろ、英語国民式にしろ、話は中途半端になってしまう。つまり、残りは、ロビーでと言うことになる。学会などでの発表は、インデックスなのだ。にもかかわらず、一般に、日本人は、発表が終わると、ホッとしてしまう人が多い。確かに、英語で話し、質問に回答するとホッとする。ほんとうは、そこからが始まりなのに。ロビーで、仲間を見つけよう。

 

5.        時制の一致なんて気にしない(2002.04.13)

  英語には、時の表し方がありすぎる。過去、現在、未来の他に現在完了等々。なぜ、こんなに区別しなくてはならないのだ。

  イタクラッている英語では、こんなに詳細な区別を動詞の活用ではしない。時間の事を言っているのだから、もっとはっきりと時間と関係を言えば通じるはずだ。

  時間を強く印象づける。例えば、I wrote it.と言うべき時、Yesterday, I write it.と現在形で言っても通じる。

  試してみると良い。ネイティブの英語の先生は、「writeでなくてwroteの間違えではないか」と指摘するはずだ。つまり、過去であることが分かっているのである。分かっているのであれば、直さなくても大丈夫だ。もちろん、自然に出来るようになるまで練習するのであれば、直した方が良い。

  ただ、英語を専門にするわけでは無い我々SEなど技術者は、この英語能力の獲得の時間がもったいない。専門を深めた方が良いと思う。

  そこで、時制ばかり気にしないで話せる方法を教えようと言う訳だ。つまり、強い時制の言葉を使ってから、おもむろに言いたいことを言えばよい。

 

(1)過去のことを言う場合。

   Yesterday, last weekなどを、まず言う。そのあとは、tenseを気にしないで話すことにする。合っている時もあるし、間違えている時もある。それで良い。

  いつだったか忘れてしまった場合も、時を言わざるをえない。うそでもよいから、About 10 years ago,とか、in 1993等と言ってしまうことだ。

 

(2)未来も同様だ。

 例えば、Tomorrow,と言えば良い。next yearでも、何でも良い。時間に関する言葉を持ってくれば、そちらが優先されるようだ。ただ、英語の先生は、直してくれる。余計なことをしてくれるので、こちらの思考が止まってしまう。

 

(3)経験があるはどう言うか。

  I have been in Tokyo.などと言わなくても、I have a experience to go to Tokyo.と言えば、分かってくれる。

 

  日本語にも過去、現在、未来はある。近くの上海出身のL氏に聞いた話だと、中国語でも、過去、現在、未来はあるのだが、あまり使わないと言う。上と同じ論理だ。

つまり、

 我去車站      我()(行く)車站()            駅に行く。

  我昨天去車站   ()昨天(昨日)(行く)車站()  昨日、駅に行った

  我明天去車站    昨天が明天(明日)になっただけで、未来であることは分かるのだ。

 

 6.        目的語が先に出る   (2002.05.05)

  英語で会話をしている時、時々、「The station」などと、目的語を言ってから絶句してしまうことがある。言いたかったことは、「I will go to the station 」である。目的語が先に出てしまったら、英語では文章にならない。例えば、「The station I will go」では、通じるが余りにひどい。この文章は、簡単だから良いが、ちょっと複雑な話だと、この形では、100%通じない。

英語では、目的語を言う前に主語を言わなければならない。しかし、並のレベルの英語能力を持った日本人には、そんな癖は、付いていないので、時々間違える。大体、日本語では、余計な主語など必要ない。従って、話に熱がこもってきた時、しばしば、この間違えを起こすのだ。

  日本語では、「駅に行く」と言うのであって、普通、「私は駅にいきます」とは言わない。日本人であるから「私は」を抜かして、「駅に行く」の「駅」が、自然に出てしまう。つまり「The station」が、先に出てしまう。

The  station」と言ってしまってから、さて、後をどういうか考える。しかし、思いつかない。そんな時、「The station I will go」と続けてから「Sorry! I said in Japanese sequence. I wanted to say that I will go to the station.」などと言いなおす事になる。

これで良いのである。間違えを気にしていると、言葉が出てこない。そして、コミュニケーションがスムーズに行かない、そして、途絶える。

この間違えは、おそらく英語でものを考えるようにならない限り直らないだろう。英語でものを考えるのであれば、その人は、もう日本人であることの半分を放棄したようなものである。民族のアイデンティティは、顔かたちよりも、言葉や思想が大きいと思う。

つまり、日本人の英語は、時々、目的語が先に出て来なくては行けないのだ。余りに、完全で、美しい英語を話すと、それは、もう日本人の英語では無い。

また、そのような完全に近い英語を話す能力を得るための代償も大きいと思う。もちろん、英語を商売にする人は、その能力が無ければならない。しかし、大抵の人は、技術上の会話や、商売上の会話、遊びの会話などで英語をつかうのであろう。専門+英語である。特に、技術的な話は、共通の専門用語があり、数式もある。その類の万国共通語を使った方(得た方)が得だろう。英語よりも専門に時間を割いたほうが良さそうだ。

 

 7.        閑話休題(日本語における省略)  (2002.05.05)

 日本語では、主語を省略するから分かりにくい言語だとする意見がある。他にも、単数、複数が不明確だ等を理由としてあげる人がいる。私はそうは思わない。おそらく言葉の機能の問題ではなく、使い方の問題であろう。機能についていえば、主語が省略されるのでは無く、余計な主語をつける必要のない合理的な言語であるとも言える。

実際、主語がなくても、文脈で意味が通じるから、コミュニケーションに差し障りがあるわけではない。もちろん、物事、一長一短、裏表である。

例えば、隣のビルに用事があることが分かっていて、「天気は?」と聞かれたら、「晴れ」と言うでしょう。「それは晴れです」と言う人はいない。「晴れ」で済みます。文脈で、傘が必要かどうかを、聞きたかったと類推して答えてあげる訳です。対応は優しいし、言葉は、単純で、すっきりしている。英語だと、「How is the weather now?」「It is fine」と言うことになる。多分「Weather?」「Fine」でも通じるだろう。これだと、日本語と同じだ。文脈に、意味の解釈をゆだねることになる。

一方で、明日、ゴルフに行く話をしている時に「天気はどうですか」と聞かれたら、今の天気を答えるのは、とんちんかんだ。明日の、しかも、ゴルフ場の天気予報を答えるべきでしょう。英語だと未来形になる。日本語でも「明日の天気はどうでしょうかね」と言うべきなのです。何となくですが、日本語の方が省略に強い。そして、省略を美しいとし、習ってきた。

会話では、話し手と聞き手が話題の状況を共有していると、話はかみ合う。しかし、ずれていると、調整する会話が必要だ。「明日の事ですか」などと聞くことになる。

日本は、世界一短い詩「俳句」を発明した国民である。「古池や、蛙飛び込む水の音」から、情景を脳裏に描き、気分を伝えることができる。情景を描くことが出来るのは、古池、蛙、水の音と言う言葉に共通のイメージが付いているからだろう。砂漠の真ん中の古池や、アマゾンの奥地の古池がどういうものかしらないが、多分、イメージが違って通じないだろう。島国と言われているが、まさに、共通体験が多いことが、省略を促進している。日本語が分かりにくい言語であるよりも、共体験の幅広さを体験し、教育される機会がない。また、そのことに教育が気がついていないのではないだろうかと想像している。

省略を価値あること、省略された言葉やしぐさから、大きな事を読み取る事に意義や美を見いだしてきた国民である。(加賀野井秀一著「日本語の復権」講談社現代新書1999.7,「「縮み」志向の日本人」李御寧(イーオンリョン)講談社文庫 1993 )

これは、日本と言う狭い地域では、省略の量が多くても通じる。世界を広げた時、省略し過ぎが起きるのだ。つまり、「どこまでが、省略する常識の範囲であるべきか」我々日本人の常識を自分自身で疑って見て、怪しければ、日本ではこういう事だとちゃんと言えばよい。会話が通じないのは、言葉自体よりも、省略し過ぎることが問題なのでは無かろうか。他にも、言葉の意味する範囲の違い、言葉の持っているニュアンスの違いも理解を妨げる大きな要因であるが別項にする。

以上の如く、「どこまでが常識として、世界に通じるか」未だ、良く分かっている訳ではない。しかし、知らず知らずに、こういう事をやっているらしい。インドで、こういわれた。

1995年ころ、インドのソフト会社が、品質管理方法を外国に学ぼうとして、日本と米国に調査団を送った。その結果、品質管理の方法論を、米国から輸入することにした。その理由は、次の3点だった。

(1)   日本の書き物は、行間に意味が込められていて分かりにくい。

(2)   英語が下手だ。

(3)   ボトムアップに出来るほど全体のレベルが高くない。

と言うものでした。上から2つが言語問題である。(1)は、上で述べた通り、日本人が求めてきたことなのでしょう。(2)インド人だって、そう英語がうまいわけではない。しかし、少なくとも、ずうずうしい。(3)日本は、昔、中学生の数学選手権でしたか、世界のトップだったこともありました。こからは、どうなるのでしょうか。

いずれにしろ、英語は、日本的英語でけっこうだが、日本語は、「きれいな」ではなく、「正確な」日本語を話し/書きたいね。

 

8.        閑話休題(悪いのは日本語か、日本語の使い方か)  (2002.05.19) 

 学校時代に、現代文の国語の時間で、「著者は何を言いたいのかを記せ」とか、「状況を述べよ」と言う類の問題が数多く出された気がする。これは、読者の権利が無視されている。本当は、著者が読者に分かる文章を書くべきなのではなかろうか。

  確かに、「次の悪文を、分かるように直せ」と言う類の問題は見たことがない。最も、分からない文章を読んで直すことは、読んでも分からないのだから直しようが無いかもしれないが、・・・。一言で言うと、この事は、行間を読者が読めと言っていることであり、行間に意味を込めることを助長している。何かおかしいのだ。

  書き方の時間は、漢字の練習にすぎず、読み方では、行間を埋めて、何とか理解することを教えている。

 先日、和文を英訳に出した時、翻訳された英語を読んだところ、何かおかしい。意味が違ってしまっている。第一、分からない部分がある。それに、普段聞き慣れた専門用語がない。

  専門用語については、英語の専門家が訳したかもしれないが、専門分野の専門家ではない。つまり、専門用語には、強くないので、専門用語が消えてしまったと言う訳だ。しかし、他のおかしな所の大半は、元の日本語が悪いのだ。

  日本語から、プロに英訳をしてもらった後、英文を読み直しておかしいところをチェックしなければならない。翻訳された英語を読んで分からなかったら、まず、元の日本語を疑おう。元の日本語の問題が多い事の方が多いです。例をあげます。

①日本語がおかしい場合

 例えば、「すべての要求をクリアした」を、翻訳業者は、「Met all demands」と書いてきました。とてもおかしい。「すべての要求をクリアした」は、何となく分かった気になります。しかし、これは、日本語ではありません。「クリア」と言う日本語はありません。日本語で言えば、「そのシステムは、すべての要求を実現した」あるいは、「システム開発したことにより、すべての要求を満足させることができた」のでしょう。「英語もどき」を使うので、こういう妙なことがおきます。

 同様に、なぜ、狂牛病をBSEと言うのでしょう。分かりにくくしている。こういうことをしていると、ますます、国際化から離れていきます。

  翻訳を頼むには、正しく、日本語を使うことです。カタカナ語を使わないで、日本人であることを主張しましょう。その上で本格的に英語と西欧文化を学びましょう。しかし、大して物にならない。せいぜいTOIEC600点~700点代。でも、その方が、国際的に通用します。日本人的考え方をし、中身を充実し、英語は、そこそこを狙いましょう。

 さて、「クリア」とは、ジーニアス英和辞典に「きれいにする。取り除く。人やものが障害物を触れずに飛び越す、突破する。・・・」とあります。満足するとか実現するは、ありません。「Implemented all the requirements」でしょうか。

  次に、掛かりがはっきりしない場合の例をあげます。たとえば、

     「他のユーザの要求も出来るようにすること」

と言う文章があります。この文章は、「他のユーザ」にも「他の要求」にもとれます。「ユーザの他の要求」の方がはっきりします。もっとはっきりするには、算数的にすべきでしょう。つまり、(  )をつけて、次の様にするとはっきりします。

・「他のユーザ」の要求

・ユーザの「他の要求」

  数学の先生も、国語を教えたほうが良いのでは無いでしょうか。事例をためて、分かる(行間に意味を込めない)日本語の書き方を、教育できるレベルにしたいと思っている。

 

②その分野の常識的用語を知らない通訳がいます。

  ある事例です  要求を「Demand」と訳しました。「Requirements」ですよね。

          制約を「Restrictions」と訳しました。「Constraints」ですよね。

 

9.        三単現も気にしない  2002.06.06

英語ては、なぜ、主語が単数と複数かで、動詞を変える必要があるのだろうか。「They」と言えば複数は分かりきっているから、動詞まで変化させる必要はないはずだ。つまり、「They are」である必要はなく「they is」で、十分分かる。この点、英語は、不合理な言語である。もっとも、自然語で、合理的言語など無いかもしれないが、・・・。

中学校から、ずいぶん、三単現を教えられた。しかし、完全に身についた訳ではない。確かに、時々、親しいネイティブには直させられてしまうことがある。しかし、余り親しくないひとには、大抵の場合は直されることはない。多分、「何かおかしい」が、会話を中断する程重要な問題ではなのではなかろうか。この場合、もちろん、私は直されることを期待していない。伝わることを気にしているだけだ。高々、その程度の問題なのだろうが、学校では、ずいぶん減点された気がする。

話す時は、以上述べた通りでよろしい。会話では、会話の「間」を楽しんでいるのだ。話す時は、「間」は、話してのものである。しかし、書く時は、そうはいかない。「間」は、読み手のものになってしまう。従って、おかしい文章に当たると立ち止まってしまう。正しい文章を書く必要がある。

友人がいれば、書いた文章をチェックしてもらえばよい。いなければ、お金を出して頼むしかない。相当できる人でも、三単現が正しくても、表現が、微妙におかしいことが第二外国語の人々には分からない。そうなので、書いたものは、どっちみち、ネイティブにチェックしてもらわなければならない。三単現だけではないのである。

IDPT2000と言う学会で、あるドイツ系のアメリカ人に会った。そのアメリカ人は、「ドイツ人は英語が下手だからドイツ人の論文の英語を直すサービスを始めた」と言う。

また、その会議で、フランス人氏と話していたら「あなたは英語がうまい」と褒められた。彼は確かに上手くない。「その上、2つ発表しなければならない」と言う。2つめは、他人の論文の代読だそうだ。結局彼は、代読分を、欠席してしまった。

三つ目の事例は、ランチョンスピーチでの出来事である。私の座っているテーブルを観察していたら、スピーチを聞いて笑えなかったのは、日本人の私、隣のドイツ人、向かいの台湾人。つまり、ネイティブしか笑えなかった。そのように、第二外国語グループは、英語はあまりうまくない。特に、人口の多い国の人は、第二外国語が上手くない。

話を戻そう。普通、「be」動詞の場合は、三単現をあまり間違えない。ルールが単純だから、覚えやすいのだろうと思う。また、若い内から繰り返したたき込まれてきたので、大丈夫なのかもしれない。しかし、チョット複雑になると、忘れてしまう。「I think that they , エート, is」とやってしまう。「are」が出てこない。ここに、「エート」が入るのが味噌で、考えているのです。考えている時、そして、be動詞以外の時に、間違えやすい。しかし、気にしないことだ。

「日本語的標準英語を話す時、三単現でも動詞のsは気にしない」でいきましょう。まず、「隗よりはじめよ」で、気にしないで話すことを実践してみましょう。将来、「is」や「are」などがなくなって、「be動詞は、beしかない」となるとうれしいですね。

三単現も時制の一致の所で述べたのと同様に、強い言葉に引っ張られる。我々日本人の考えと変わらないのです。日本人は、初めに思い浮かぶことを先に言います。ここで、日本人と書いたのは、私は、他の国民になったことが無いので、「世界レベルで、一般的だ!」と言えないだけで、世界中そうだと思っています。先に思いつくのは、重要だからでしょう。

  

10.    閑話休題(フィンランドでイタクラッている英語が、芽を出しました) 2002.06.23

 

私の話、フィンランド-日本のワークショップで、さっそうと手を挙げて、

I have a question.

スピーカーから、

Yes」と来た。

続いて、

「エート、何だっけ」と言ったのだそうだ。

本人は、全く気がついていない。ただ、訊こうと思った時は、日本語で考えていて、英語に切り替わらなかった。団員が、厳しく覚えていた。もう少し、役に立つことを憶えろと言う気もするが、・・・。

大切なことは、日本語で考えて、英語で話すことなのだ。英語で考えて英語で話すのであれば、ネイティブにかなわない。日本語で考えて、英語で話す人口は、多分日本人の周りにしかいないだろう。これなら勝てる可能性がある。しかし、日本語的英語になってしまう可能性が高い。それから、俺は、皆さんの幸せの為に、我が部屋を居酒屋にした。そのせいで、脳細胞が沢山死んだだけなのだ。

 

今度は、別の人。壇上で、質問されて、

It is a very good question」と言ってから、

I could not understand what you said. 分からなかったので、もう一度言ってくれ」と言って爆笑を買った男がいた。おそらく条件反射で、It is a very good questionが出たのだろう。

 

さらに別の人の話。手をあげてさされてから

「魚眼レンズって英語でなんて言うの」と言った男もいた。「エート、ナンダッケ」と同じだ。

 

  この3つの例は、事前に英語に組み立ててから言う普通の日本人のやる英語化の過程を飛ばして話している。つまり、イタクラッている英語である。今回の日本-フィンランドワークショップでは、板倉だけでなく、他の人がイタクラる例が出てきた。イタクラッている英語が広がりつつある。喜ばしいことである。

 

この会議のフィンランド側の評価は、どうだったか。「今回のワークショップでは、日本人がこんなに話すと思わなかった。本音の出た良い会議だった」と言う評価をえた。

 

ついでのついで情報です。「ヨッパラッテイル」は、フィンラド語で、「酔っぱらっている」ことらしい。「ル」の発音が、ちょっと違うが、殆ど、似ている。おかしなおじさんが、ランチョンミーティングで、そう言った。それから、おじさんは、洋服のことを「フク」と言うそうだ。何か似ている。

 

以上の出来事は、下記のイベントでの出来事です。

2002610日~12日に、ヘルシンキで7ECSQ(第七回欧州ソフトウェア品質会議)が開かれました。続いて、613-14日、日科技連、TEKES(注1)、SET(2)の共催で「フィンランド-日本のワークショップ  Towards Mobile Information Society」が開かれました。この2つの会議に、日科技連から22名のチームを組んで参加しました。

「フィンランド-日本のワークショップ」は、日本側の持ちかけで始まりました。持ちかけた手前、日本人が、パネルで一言もしゃべらないと面目無いし、申し訳ない。団長である私は、心配でたまらない。そこで、日本側が話せる環境を整えるべく、司会を日本側にし、「板倉稔の国際コミュニケーション論」を話し、発表練習をし、このホームページを紹介した。

その結果、うれしいのは、イタクラッている英語の芽が出てきたことです。

注1            TEKES   フィンランド科学技術庁

注2            SET      フィンランド経団連

 

フィンランド -クショップの資料   http://akseli.tekes.fi/Resource.phx/tivi/spin/seminaarimateriaali.htx