英語術3

<目次>

21.    関係代名詞の訳しかたを知って話せるか   (2003.03.02)

22.    [閑話休題No problem」と「As you like(2003.04.05)

23.    まわりに日本人さえいなければ  (2003.05.03)

24.    単語が分からないときは  (2003.05.25)

25.    単語の意味 (2003.06.15)

26.    閑話休題 海外暇つぶし(1) ロシア人氏  (2003.06.29)

27.    閑話休題 海外暇つぶし(2) ミラノからベニスへむかう電車の中での宴会 (2003.06.29) 


21.    関係代名詞の訳しかたを知って話せるか   (2003.03.02)

次は、関係代名詞の話しに移る。私は、学校で関係代名詞は「後ろから訳す」と習った。例えば、「I read a book that I bought yesterday」と言う文章は、「昨日買った(ところの)本を読んだ」と訳すのだと教えてもらった。

ところが、話すときや聞くときは、これが役に立たない。聞くとき、関係代名詞の「that」が来ると、頭の中で、次の言葉を待って日本語順に組み立てようとする。しかし、次の言葉がきたときには、すでに、前を忘れてしまっている。あるいは、頭の中で、言葉をひっくり返している内に、その次の言葉が通りすぎてしまっている。その結果、話しが通じなくなってしまう。

そのまま、聞こえて来る順に、理解すべきである。そうできないと話の速度に追いつかない。素直に、聞こえる順に理解していいけば良い。

I read a book that I bought yesterday」は「私は読んだ。本を。それを買った、昨日」と理解するしかない。確かに、こなれた日本語ではないが、意味は十分通じる。まずは、この伝で聞いてみよう。

聞き方は、こうすれば良いと分かった。話すときも同様、頭の中でひっくり返していたら間に合わない。そういう時は、関係代名詞など使わなければ良い。例えば、次の様に言う。

I read a book

I bought the book yesterday

この表現は、稚拙かもしれない。でも、これなら言えるだろう。きれいな日本語さえ使えないのに、正しい英語を話そうなんて思うな。通じれば、十分と思おう。

頭の中で、英語を組み立てていると会話に間に合わない。頭に浮かんだ言葉を、言ってしまおう。文章と文章の間は、多少でも間が開くと、相手の言葉が割り込んで来る。一方、文章の途中だと、相手は中々割り込めない。会話は、リズムが重要だ。相手が割り込めないときは、相手が聞こうとしているので間が開いたとしても、会話が進まない。いよいよ困ったら、「wait a minutes」でも「I want to say is ウーン・・・・・・」と詰まっても、私が、言いたいのだと言う意思表示をしよう。そうすると、会話が途切れた感じにならない。決して、日本語を浮かべて、英語に翻訳するのでは無い。稚拙で良いのだ。

なぜ、こんな訳し方を教える様になったのだろうか。私は、そのもとは漢文にあると考えている。唐の詩人、杜甫の歌「春望」の一部をあげてみる。

(1)    国破山河在

(2)    城春草木深

(3)    感時花濺涙

(4)    恨別鳥驚心

が、原文。それを、日本における漢文の先生は、次の様に教える。

(1)    国破れて山河在り

(2)    城春にして草木深し

(3)    時に感じて花にも涙を濺ぎ

(4)    別れを恨んで鳥にも心を驚かす

(以上 http://tyuugoku.hp.infoseek.co.jp/syunbou.htmlから引用)

 この様に読んで、一体、中国人と会話できるだろうか。更に問題なのは、(3)と(4)である。この分は、「レ」点がついている。読み方をひっくり返せというわけである。ここに、関係代名詞の訳し方のルーツを見た様な気がするでしょう。つまり、読む順が、書かれている順と違う。当然、話す順とも、違う。

私は、漢文を習ったとき、全く疑いを持ちませんでした。しかし、今、この様に読むと、違和感を感じます。唐の時代に、日本に概念や、方法論を輸入したと時は、良いでしょう。なぜなら、唐と日本は、長い時間を掛けないと行き来出来なかったからです。顔真和尚は、10年も掛けて日本に渡ってきた。しかし、今は、リアルタイムで話せる。それほど、時間がかからなくなったのである。文書を輸入して、翻訳するのでは済まない時代です。にもかかわらず、遣唐使を派遣していたときと同じ方法で読もうとしている。

英語の関係代名詞に戻りましょう。唐の時代の読み方を、英語に適用したのだと思います。明治時代には、まだ許される。しかし、現代は、インターネットで情報がどんどん来る時代です。飛行機で、数時間で行き来している。こんな時代に、この訳し方を教える意味があるか疑問です。

残念ながら、最近、学校で英語を、どのように教えているか知りません。しかし、我々の近辺(私は、1944年生まれ)に生まれた人々はこう習った。英会話が上手くならないのは、当たり前ですよね。

もし、この様に習ったのであれば、まず、学校で習った英語を忘れてみよう。多分、展望がひらけると思います。少なくとも、私は、学校で習ったことを忘れて、初めて、英語で議論(もどき)が出来る様になりました。分からなくても、会話のリズムについて行ける、場合によっては、相手がこちらのリズムに合わせてくれる様になりました。

 

22.    [閑話休題No problem」と「As you like(2003.04.05)

  私の初めての海外出張はインドだった。ニューデリーで、「日本のバンキングシステム」と言う話しをした。1987年のことだから、大昔である。その時、インドが好きになった。インドは人間を哲学的にする。

  二回目のインド出張は、1997年、ニューデリーで開催された「日印ソフトウェア品質会議」で開会の辞を述べた。両方とも、大昔。

  この10年で、変わった事は、「No problem」から「As you like」に変わったことだ。当時の日記を転記する。

 

1.1987年の日記から

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 到着日の朝、朝早く目が覚めた。暇なので、オートリキシャというエンジン付3輪タクシーに乗ってみた。運転手さんに「絵はがきを買いに行く。店の往復だ」と頼んだ。答えは、「NO PROBLEM, 5ルピー」と言う約束である。

リキシャは、中々快適な乗り物である。ブルブルとエンジンやボディーがゆれてうるさいが、窓が無いので、風通しが良い。2月のインドの風は、大変気持ちが良い。しかし、絵はがきを買いにいくのに、なぜか、絨毯屋に行った。次は宝石屋に行った。運転手は、色々しゃべって、市内観光に持って行こうとする。

 当方は、着いたばかり、土地勘がない。運転手まかせである。なんだか、どんどん遠くへ行ってしまうような気がする。一人だし・・・。インドゲートをこえた。小生は、当時フィリピンで誘拐された日本人の新聞記事などを思い出して、どうなるか心配だ・・・・。

降りる時、ホテルの前で又一もんちゃく。メータは、11.6ルピーになっている。始めは、5ルピーで約束した。しかし、16ルピー請求しやがる。なんでも、メータは、旧ルピー表示なので換算が必要という。「5ルピーだろ」,「NO」・・・

結局、負けて、20ルピーでお釣りを貰うことにした。そしたら、また、PROBLEM が現れた。「お釣りがない」と言う。また、やりとりがあって結局、ルピーだけ取り返した。乗る前は、「NO PROBLEM」乗った後は、「MANY PROBLEM」。或いは、「NO PROBLEM」の真の意味は、「MANY PROBLEM」に相違ない。

このたびでは、「ノープロブレム」と言う便利な言葉を憶えた。you are well come NT at allyes no、全部ノープロブレムで済む。プロジェクトも、NO PROBLEMで行きたいネ。しかし、たいていの場合、外観はNO PROBLEM、頭のなかではMANY PROBLEM。プロジェクトの問題がこびりついている。

 

この日記は、塀著「スーパーSE」のコラムに書いた。そうしたら読者から「Many Problem」では無く、「Many Problems」の間違えだと指摘された。賢いが、面白くなかった。

 

2. 1997年の日記から

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今日は、午前中時間があるので、朝、オートリキシャで、観光に向かう。まず、「カレー粉」をお土産に買うので、HOTELで聞いたマーケット、SADDAR BAZAAR に向かう。運転手が「もっと良い所を知っている。俺は45年も住んでいるのだから、任せろ」と言うので、そのマーケットに行った。カレー粉を3017ルピーで買った。オールドデリーの様な雰囲気の所で、ざわざわしている。前回同様、どこだか分からないが、前回との第一の違いは、ちゃんとカレー粉屋に行ったこと。

途中踏み切りがあった。踏切が閉まっているのに、中々電車が来ない。人は勿論自転車もリアカーも,人力車も踏切を跨いだり潜ったりして渡ってしまう。その後、踏み切りが開いたら踏切中が大渋滞になった。電車が来たら逃げようとキョロキョロしているうちに渡りきってしまった。ホッ!とした。踏み切りがしまるとすぐに電車が来るようだと、渋滞が解消しないので危険なので早く閉めるのではなかろうか。

運転手に、「メータを倒したか」と言うと、運転手は、「お友達だからAS YOU LIKE と言う。問題が起きるに決まっているのに。

ハンバーガーの肉は、マトンだそうだ。結構高くて、25ルピー。高いのだと45ルピー位まであった。non veg が標示されている。それ以外は、肉が入っている。

帰ってから、オートリキシャの運転手氏にいくらか聞いた。曰く、「AS You Like」。「300でどうか」 と言ってみたら、「AS You Like」と言うのでそのままにした。メータは、65を指していて、倍払えと聞いていたので、130 、待ち時間は、加算されていないので倍にして260 、チップで40とエイヤと計算した。払う金額は、最大500 かなと思っていたので、拍子抜け。何にも言わないので、返って申し訳ない感じになった。約1000円で、時間以上チャータしたことになる。

3時間に渡るオートリキシャの旅は十分満足した。風は気持ち良いし、振動も快感だ。ただ、今回は、空気が悪かった。今回は、インドゲートを潜れなかった。ゲートのまわりは、車では入れない。ゲートを空気から守る処置らしい。

 

23.    まわりに日本人さえいなければ  (2003.05.03)

我々には、「まわりに日本人さえいなければ、照れずに英語が話せるのに」と言う妙な感覚があるようだ。英語を習いはじめてしばらくたった頃、日本人5人、海外から5人程度の会議があった。その場で私は、何かを話した。会議が終わった後、日本側参加者の一人同期のOさんが近づいてきて、「板倉が、これほど英語がしゃべれるとは思ってもいなかった。しかし、文法の間違いが気になってよく分からなかったよ」と言った。

 日本人が、近くにいると話せなくなってしまう理由は、「これだ!」と思った。学校の頃、答えを間違えると「違う」と言われた。例えば、国語の時間に音読があって、間違えたら交代などというのもあった。とにかく、学校で教育を受けていた間は、間違えに敏感にならざるを得ない環境だった。そういえば、入試もそうだった。

ノーベル賞科学者の利根川博士(だったと思うが)のご子息がアメリカにいて、日本学校とアメリカの学校の両方に通っていたそうだ。ご子息曰く「アメリカの学校では疲れないが、日本の学校に行くと疲れる」と言ったそうだ。

理由は、日本学校では、先生の答えと違うとき、「間違え」と指摘されるので、答える前に間違えが無いかどうか自分でチェックし、大丈夫と思ったときにしか発言できない。しかし、アメリカの学校は、間違えても、理由を聞いてくれる。そのなかで様々な考え方を、認めてくれるので、自分の思った事が言いやすい。だからアメリカの学校の方が、疲れないと言うわけである。

この様に、日本の学校教育では、間違えてはいけない、恥ずかしいと思う癖がつけられる。これが、色々な場で出てくるのではなかろうか。日本人が、私の英語の文法上の間違えをチェックしているのだ。私は、この恥ずかしさ、照れくささを脱するのに、数年かかった。そのくせ、私の日本語の文法はチェックしない。

誰でも、このような経験があるのではなかろうか。しかし、会議で、日本人一人だと、誰にも頼れない。とにかく、通じなければならない。間違って理解したり、伝わったりしてはしては困る。そこで、真剣になる。あなたが言ったことはこういうことだねと自分の言葉で言ってみる。あるいは、私が言った事は、こうだと違う観点で言ってみる。どうも理解出来なければ、図か絵にしてみる。こういう繰り返しで段々、お互いに分かって来るのだ。

私と少数のネイティブとの会話では、ネイティブが下手なやつに合わせて話してくれる。やさしい言い回しで、ゆっくりと、しかも、やさしい単語を選んでくれる。分からなければ、上で述べた様な手が打てる。しかし、相手の人数が多いと全く駄目だ。学会(アメリカでは、知る限り、なぜか international conferenceである)で話しを聞くとき、私のレベルには合わせてくれない。イタクラッテいる英語じゃ歯が立たないのだ。しかし、問題ない。コーヒーブレークで、話しかければ良い。今まで、すべて、やさしい話しかたで説明してくれた。これは、一種の図々しさだ。図々しさで解決出来る。

前に述べた様に、少なくとも、我々の世代の日本人は、図々しくなれない教育を受けてきた。今でも、同様な教育だろうと思う。学校で習った恥ずかしさを捨てることが、国際コミュニケーションの第一歩である。

 

もう一つ、理由があるかもしない。私の友人で、アメリカ人のM君が、日本人の奥さんとハワイに引っ越しました。その奥さんからの年賀状から引用します。

「娘がインストラクターの英語を理解出来ないのです。それまで日本語で会話をしていた家庭に英語が持ち込まれました。すると、今度はあっという間に英語が優勢になり日本語を面倒がり始めました。そして、驚くことに、日本語で話していた時よりも英語で話しているときのほうが意思表示をハッキリしているように見えるのです。文法上、主語が抜けていても会話になる日本語と比べて英語はそうもいかないからなのかもしれません。」この事例では、 日本語自体が、恥ずかしい、あるいは、話しにくい性格を作り上げている可能性があることを示唆していると思います。

 

いずれにしろ、日本語で考え話す国民だし、日本の学校教育を受けてきてている人が大半でしょう。図々しさを獲得するにも、障壁が沢山あるかもしれませんが、乗り越えて話さないとお互いに分からないままになってしまいます。一時の恥は、かいて見ましょう。イタクラッテいる英語で十分です。図々しさの獲得が重要である。

 

24.    単語が分からないときは  (2003.05.25)

ハワイ大学で、プロジェクト管理の話をしているとき、脱線して血液型の話になった。話は、いつぞや、カルフォルニア大学のBill Houden先生に酔って話した内容と同じだ。

(1)    山の麓に、4人の人がいる。

(2)    全員に、山へ登れと言う指示が与えられた。

(3)    もちろん、4人は、それぞれ、ABOABの血液型の人である。

 さあどうなったでしょうと言うのが、この話の始まり。

(1)   A型は、コツコツと山に登った。

(2)   O型は、ちょっと登ると休んでしまう。しかし、最後は登った。

(3)   B型は、山に登るのは放っておいて、山のまわりをグルグル回り始めた。

(4)   AB型は、指示を無視して川へ行ってしまった。

 こういう話をする。

 私の部下は、A型が多い。それは、私の持っていない能力と性格を持っているのでありがたいからだ。あなたも、観察してみると、血液型による性格の違いが見えてくる。本件は、「知のモデリング」に詳説してある。今風にいえば、遺伝子の影響だろう。

 さて、ハワイでの話に戻ろう。O型の話の延長線上で、「ざる」を言わなければならなくなった。「ざる」って英語でなんて言うのだろう。文脈は次のようである。

(1)   A型は、水も漏らない緻密な仕事をする。鍋である。

(2)   O型は、抜けたしごとしかできない。「ざる」である。

 

「ざる」はいくら重ねても、水が漏る。しかし、鰻をつかむときは、「ざる」の方が便利だ。水の中の鰻を、みずももれない鍋に入れてもやっぱりつかめない。つまり、それぞれ、その場その場で、特徴がいきるのだ。適材・適所・適時である。特に、ここでは適時を加えてある。(本件は、「スーパーSE」に書いた。プロジェクトには、様々な場面があるので、たいていの人の特徴は活かせると言うことが言いたかった。

 

 さて、この「ざる」の英語がでて来ない。でてこないよりも、知らないのだ。Net Panといってみたが通じない。もう忘れてしまったが、こんな感じであった。

  Do you know the name of cooking equipment?

Water can go through the pan but things cannot go through the pan. Then, I can get things in water easily.

Do you know this?

 単語が並んでいるだけだが、何やら答えてくれた。Colanderと言うらしい。

 日本語だって言葉を忘れたときは、聞くでしょう。あの、電気で米がたけるやつといえば、炊飯器といってくれる。英語だって同じなのだ。上の文の中に知らない単語はないだろう。それとおなじ。文法は、a/the、単数/複数、時制など間違えかだらけかもしれない。でも、通じる。

 知らない単語は、より具体的に説明しないと分かってもらえない。たいていの場合、具体的に説明する方が容易なのだ。「動物」よりも「犬」の方が具体的だ。「家具」よりも「机」、「飲み物」より「ビール」の方が簡単に出てくる。「Such as」を使えば良い。一般論を言いたくなったら、具体論で述べ、こういうことだと言う。これが、通じる英語のこつである。

 

25.    単語の意味 (2003.06.15)

 長い間、英語を習ってきたが、単語の置き換えと順序の入れ換えを覚えただけで話せないし聞けない人が多いのでは無かろうか。つまり、記号処理を習得したにすぎない。単語を、日本語に置き換えて、並び替えれば英語が日本語になると教えられたわけだ。これって、役に立つのだろうか。言葉は、そんなに無味乾燥ではないはずだ。並び替えについては、関係代名詞の所で述べたので、ここでは、単語について話をしよう。

単語「room」を例に上げてみる。もちろん「部屋」の意味がある。日本語の「部屋」という言葉でさえ、この言葉から受ける印象は人それぞれだろう。アメリカの片田舎のだだっぴろいホテルの部屋を思い浮かべて、何となく落ち着かなかったことを思い浮かべる人もいるだろう。畳の部屋に、ゴロッとして落ち着いたなと言う感じを持つ人もいるだろう。日本語でも、「部屋」という言葉だけで、正確に伝えられるかどうかは分からない。その上に、英語では、単語の意味する範囲が日本語と違う。

Oxford Advance Learner’s Dictionary(英英辞典)にある次の用例は、どう解釈するか。イタクラッているので怪しい解釈であるが、やってみよう。

There is no room to work here.

 ここには、働く部屋がないではなくて、「ここには、働く場がない」であろう。「部屋」は、具体的、物理的で、「場」は、論理的、抽象的だ。

There is no room to sit in the car.

 車の中に「部屋」はない。この「room」は、日本語にすると座る場所(隙間、空間)らしい。こうしてみると、「room」は、「部屋」「空間」「場」「隙間」といういくつかの日本語の単語に置き換わる。会話の最中に、これらの単語を当てはめて、どうも「隙間」らしいなどと考えていたら、話の速度についていけない。どうも、「room」は、「部屋」と置き換えるより、「空間」と置き換えた方が近い感覚と思っている。

会話の最中であれば、ここで、考え込んではだめだ。シーンとした時間が、会話のリズムを崩す。したがって、理解が、怪しかったら、会話の速度を崩さないように確認を入れる方が、シーンとしてしまうよりよっぽど良い。会話は、間合いが重要だ。例えば、こんな風に言ってみる。(イタクラっているので、文法や用語の間違えを指摘しないこと)

What is the meaning of the “room”.  

あるいは、

You mean I cannot go with you, right?

意味を想像することの方が、単語を置き換えるよりも重要である。想像して、「そうでしょ」と念を押すべきだ。

中学で、英語を習った。人によっては、大学までいって習った。したがって、「There is no room to work here」の7個の単語は、すべて知っているはずだ。並の日本人か知っている単語は、数百から数千だろう。知らない単語は、数えきれない。また、多くの日本人にとって、聞くのが下手だから、聞こえた(知っている)単語の組み合わせから、意味を想像する場面の方が圧倒的に多い。

ではやってみよう。今、この文の「room」が聞こえなかったとしよう。

There is no      to work here. (There is no room to work here.)

状況を考え合わせれば「働く場がなさそうだな」と見当がつくだろう。逆に言えば、この6つだけで、意味は通じる。想像を確認するには、確認の為に自分の言葉で言うことだ。

自分で言うときは、自分のボキャブラリの範囲で言える。従って、ずうずうしく言うことである。

ついでに、「場」がでてきたので「Place」を調べてみた。物理的な場所を意味する以外に次の用例があった。

The audience laughed in all the right place.

  これは、「しかるべき所」かな。

She worked hard for her place in the Olympic team.

  これは、「チームに入る」かな。所がでてこないな。

 

  多分、There is no place to work here.と言っても、分かってくれる。ブロークンが、国際英語なのだ。

分からない単語がでてきたら、堂々と聞けば良い。相手が首を傾げたら、もっと具体的にいってみれば良い。「相手は、国際英語に馴れていない、単なるネイティブだ」と思おう。自分の英語が、国際標準英語だと思おうではないか。

 

またまた、ついでに「プライバシー」を調べてみた。日本語の「プライバシー」は、自分の権利のような印象を受ける。では、Oxfordの辞書には、どう書いてあるか?

第一に「State of being alone」、第二に「freedom from interference or public attention」とある。権利じゃなくて、単に状態である。そして、この二つから、まず、言葉の意味の客観性を感じ取った。私は、State of being aloneでありたい、その状態を言っているだけである。いまこれを、孤独と訳したら、すでに意味が入ってしまう。一人ではどうか。人数を言ってしまう。ぴったりした日本語がないのである。

第二の意味を日本語にしてみよう。「干渉されないこと」と訳すと、自分が中心になってしまう。これもちょっとちがう。公共から干渉されないことであって、自分の秘密をみられないことではない。うまく言えないが、何となくちがう感じがある。英語だからか、あるいは、私の母国語でないからかもしれないが言葉が乾いていると感じた。

NHKの女性アナウンサーの先生であった某英語教授から、こういわれたことがある。確か、教授は、ウェールズから来たと言っていた。そういう意味じゃ、いわゆるネイティブ英語とちがうかもしれないが、・・・。

「日本語は、ニュアンスの表現能力が高いすばらしい言語だ。しかし、日本人はこれを教えない。日本の国語教育はおかしい、漢字ばかり教えているではないか。英語教育はもっとおかしい。文法ばかり教えて、話せない言葉を教えて、何の価値があるのか」。

前半は、日本語は、言葉がニュアンスを持っていて、その表現能力が高いとを言っている。後半は、単語の置き換えと、記号処理ばかり教えているということを言っているのだと思う。

ちなみに、「プライバシー」を、インターネット辞書でひいてみたら、「保護」と書いてありました。同じく、「privacy」をひいてみたら、「n.隠遁隠退人目を避けること私生活秘密内密プライバシー秘匿権.」とありました。単語の置き換えじゃ済まないことが分かってもらえましたか。

Oxford Advance Learner’s Dictionaryは、好きな辞書です。

 

26.    閑話休題 海外暇つぶし(1) ロシア人氏  (2003.06.29)

  ここから、一寸だけ、私の日記から外人との場面を紹介する。多分、その中から、図々しさを読み取ってもらえると思う。

  ある時、視察団で欧州に行った。その時の旅は、「現地の人々と話し合う旅」にしたいと決めた。今回は、二つ紹介する。

 

 FRANCOIS DUVAELT 

  パリからウィーンまでは、オーストリア航空の737 程度の大きさの飛行機である。隣は、ビジネスマン風、年の頃は4550の男である。とにかく英語ができるかと聞いてみる。問題無い。食事をしながら色々話してみると、彼は、フランス人で、奥さんは、ロシア人。職業は、ダウケミカルのソ連支配人と言うことらしい。奥さんがロシア人だとすると「でぶ」だろうと言ったら、ゲラゲラと笑ってNOと言った。多分、デブなのだと思う。

  レアメタルの市場が日本には無いと言う。このレアメタルの発音が分からない。相手も理解してもらう為に一生懸命である。金属の名前を色々挙げて、そしてRAREと書いたので判明。日本に、少なくともメタルの市場はある。多分、レアメタルも扱っているだろう。工業品市場が出来ているはずである。

  そこで、日本を知らないのはけしからんと言ったら、敵は早速攻撃に来た。とにかく日本人は、大勢集団でバスで有名な場所に来て、パチパチと写真を撮ってすぐ次に移動してしまう、どこにも接触の場所がない。何処で知ることが出来るのかと来た。

  確かに、日本人は、海外に、日本の島(団体)を作り、その島から海外を観察している。団体は、パリに日本の島を作ったようなものである。加えて、英文での広報が足りないのだろう。そこで、本件については、日本に来たら私に電話をくれと言うことで落着した。

 彼は、ロシアには15年住んでいて、ウィーン経由でモスクワに帰るのだそうだ。ウィーンには GOOD GIRLが居るよし。日曜日に帰るのなら、俺を紹介しろと言ったら笑っただけ。降りる時に、彼のホテルに飲みにこいと言う。しかし、もうバテバテである。その上、ホテル着は時過ぎの予定。御免とお許し願った。何となく仲良くなった。

 

27.    閑話休題 海外暇つぶし(2) ミラノからベニスへむかう電車の中での宴会 (2003.06.29)  

 ミラノからベニスまで、電車の旅である。我がコンパートメントには、日本人人、イタリア人一人、ノルウェー人二人と言う組合せ。ノルウェーの一人は、「フィリップス石油会社」の社員で、装置の分析をするエンジニアで、もう一人は、パイプを設置する会社の男のワンセット。

  イタリアのおばあさんは、イタリア語のみ。他は、一応英語を話す。髭でない男の方がイタリア語をほんの少々話す。

 何となく、ノルウェー人と日本人の間で酒が始まった。ドイツの薬臭い酒である。私は、ドイツの養命酒と名付けた。ノルウェーグループはこれが大好きだそうで、前、ドイツ人と乗った時には、列車のこの種の酒を全部飲んでしまった等といっている。しかし、そう美味くもない。と言って他にない。まー、だから仕方がないし、飲ませてもらって不味いとも言いにくい。

 「ノルウェーは人口が4.5 百万人と少なく、国土は、日本と同等である」という。我々には、ノルウェーの国土の広さなど見当も付かない。いずれにしろ、日本との比較で言うあたりがにくい。日本も有名になったものだ。言語は、ノルウェースエーデンデンマーク共似ているが、違う言語だそうだ。

  彼ら位のレベルの人間は大体リゾートに小屋をもっているそうである。隣まで歩いて15分から20分かかる。トラヒックジャムも大したことは無い。家の値段は、200 平方米程度の家で、130,000 米ドル程度とのこと。とにかく、我が地とはおお違い。髭氏いわく、「そこら中駐車場である」。そして、髭の家は、ダイニング×2,  ベッドルーム×3,  いろいろ言うが実感出来ない。「東京はどうか?」と来た。

  小生の家は、86平米であると言って同情を買おうと思ったが、彼らは同情してくれなかった。日本間は、居間、寝室、食堂が一部屋でできる効率のよさと、自然と共生する生活をしていると自慢した。

  日本人としては、奢られただけでは申し訳ない。隣の食堂車でワインを一本買って差し入れた。酔っぱらってくる。したがって、すぐに無くなる。今度は、Mさんに一本入れてもらう。都合、これだけ飲んだ。時々、髭でない方が、イタリア語でおばあさんに翻訳するが、小生の英語と同様、ウーンエートと唸っているばかりである。

 酔ってきたら、髭氏が、後ろのコンパートメントに、日本人の美人がいると言い出した。まず、見てこよう、と後ろに行くとみたところ5060のおばさん、これは違う。その後ろには、ずっと先に日本人風のがいる。髭氏に、よし、俺が日本語できっかけを作ってやる。と勇んで出掛けた。しかし、なんとブラジルの二世で日本語駄目。と言うことまで分かったので、髭氏と交代。とにかく、残りは飲むとする。髭氏は中々帰ってこない。

  イタリアのおばあさんは、ベニスの一つ手前で下車。息子(娘)夫婦が迎えにきていて駅で我々に盛んに手を振っていた。言葉は通じなかったが、おばあさんにとって、面白い旅だったと言う事にしおこう。

  等々で、お友達になり、後で写真を送るよと言うことでベニスで別れた。